狂気の逃げ馬、カブラヤオー:日本ダービーを駆け抜けた伝説

 日本競馬史に燦然と輝く名馬、カブラヤオー。その名は、1975年の日本ダービーを驚異的なハイペースで逃げ切った「狂気の逃げ馬」として、今なお語り継がれています。今回は、カブラヤオーの生涯とその魅力について、取り上げたいと思います。

第1章 誕生と不遇なスタート

カブラヤオーは1972年6月13日、北海道新冠町の十勝育成牧場で生まれました。父はファラモンド、母はカブラヤという、地味な血統の牡馬でした。6月生まれと遅生まれで、馬体も小さく、見た目に華やかさがなかったため、馬主の加藤よし子さんが売却を試みても買い手がつきませんでした。 さらに、幼少時に他の馬に蹴られた経験から極端に臆病になり、馬群を怖がる性格が後にその独特なレーススタイルに影響を与えます。

調教師の西塚十勝氏にも「馬房がない」と断られ、ようやく東京競馬場の茂木為二郎厩舎に預けられたのは1974年9月。同期の馬たちがすでにデビューしている中、カブラヤオーは遅れて競走馬としての第一歩を踏み出しました。初戦はダート1200mで2着に敗れましたが、続く芝1200mの新馬戦で初勝利を挙げ、逃げ戦術が確立されていきます。

第2章 クラッシック戦線で躍進

1975年、3歳(旧表記4歳)のカブラヤオーは一気に才能を開花させます。ジュニアカップで2着に10馬身差をつける圧勝を飾り、クラシック戦線の伏兵として注目を集めました。 続く東京4歳ステークス(現・共同通信杯)では、同じく逃げ馬で牝馬二冠を達成するテスコガビーと激突。主戦騎手の菅原泰夫がテスコガビーを選んだため、菅野澄男騎手が騎乗し、クビ差で勝利を収めます。このレースはカブラヤオーの重賞初制覇であり、菅野騎手の唯一の重賞勝利でもありました。

弥生賞では関西の有力馬ロングホークを下し、皐月賞へ向けて期待が高まります。皐月賞では、1000mを58秒9という殺人的なラップで逃げ、2着に1馬身3/4差をつけて圧勝。 このレースで、カブラヤオーの「狂気のハイペース」が競馬ファンの度肝を抜きました。



第3章 日本ダービーの伝説

1975年5月25日、第42回日本ダービー。当時のダービーは28頭立てという多頭数で、テレビ馬(名前を呼ばれたいがために無謀に逃げる馬)が存在しました。この日はトップジローが猛烈なペースで飛ばしましたが、カブラヤオーはそれを上回る1000m58秒6という驚異的なラップで先頭を奪います。 直線では苦しそうにヨレながらも、菅原騎手のムチに応えて再加速。ロングファストに1馬身1/4差をつけ、逃げ切りました。

このレースは、観客や実況者までがカブラヤオーを応援するほどの劇的な展開でした。菅原騎手は後に「カブラヤオーから自信をもらった」と語り、彼の騎手人生にとっても特別な一戦となりました。 カブラヤオーの逃げは「華麗」ではなく「異常な強さ」と評され、競馬史に残る名場面となりました。

第4章 挫折とその後

ダービー後、カブラヤオーは蹄鉄交換のミスで左前脚に屈腱炎を発症。菊花賞への出走は叶わず、三冠の夢は途絶えます。 1年の休養を経て復帰しますが、かつての輝きを取り戻すことは難しく、1976年の短距離ステークスなどを勝ちつつも、満足な状態でのレースは少なかったです。通算成績は13戦11勝、1975年の年度代表馬と最優秀4歳牡馬に選ばれました。

引退後は種牡馬として日本軽種馬協会に所属。ミヤマポピー(1988年エリザベス女王杯)などの活躍馬を輩出しましたが、種牡馬としては期待ほどの成功を収められませんでした。 2003年8月9日、31歳でこの世を去りましたが、その長寿もまた「死神からも逃げ切った」とファンの間で語り継がれています。


第5章 カブラヤオーの魅力


カブラヤオーの最大の魅力は、臆病さゆえの必死な逃げと、それを支えた驚異的な心肺機能です。馬群恐怖症ともいえる気性から生まれた戦法は、現代では考えられない無謀なハイペースを生み出し、競馬の常識を覆しました。 また、菅原泰夫騎手とのコンビは、地道な努力を重ねた職人技と馬の信頼関係の象徴でもあります。

全妹ミスカブラヤがエリザベス女王杯を制したように、気性難がなければ追い込みでも勝てたかもしれないカブラヤオー。 その「最強の肉体に最弱のメンタル」というギャップが、ファンの心を掴んで離しません。



第6章 現代への影響


カブラヤオーのダービーは、逃げ馬の可能性を示した歴史的な一戦でした。現代の競馬では、ハイペースの逃げはリスクが高いとされ、緻密な戦略が重視されます。それでも、カブラヤオーのような「狂気」の走りは、競馬のロマンとして色褪せません。Xの投稿でも、ケンタッキーダービーの不良馬場でカブラヤオーの走りを思い出す声が上がるなど、その影響力は今なお生きています。


第7章 終わりに

カブラヤオーは、華やかさや完璧さとは無縁の馬でした。しかし、その不器用なまでの全力疾走と、どんな逆境も跳ね返す強さが、競馬ファンの心に深く刻まれました。1975年の日本ダービーで見せた光速の逃げは、永遠に語り継がれる伝説です。あなたも、カブラヤオーの走りを映像で振り返ってみませんか? その迫力に、きっと心を奪われるはずです。

いかかでしたか?今回は、〝狂気の逃げ馬〟カブラヤオーを取り上げてみました。

最後までお読みいただきありがとうございました。












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コメント

  1. 私が21歳でした。中山の弥生賞で彼を初めて生で見ることができま
    した。黄色地に赤の井桁の勝負服。発送前に見るカブラヤオーは決
    してもさーっとしたものではなく勝負服同様になんと鮮やかな、そ
    して輝いていたか、今でも瞼の裏に焼き付いたままです。
    カブラヤオーは勝ちました。当然のように。自分の家のない中山で
    彼は圧倒的な結果を出すのです。

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